事実は小説より……?

「ん?」
妙な視線を感じ、歩みを止めて振り返る。しかしそこは、何の変哲もない学校の廊下。
先程感じた奇妙な視線も、その気配を消していた。

ここ最近、こんなことが続いている。とはいえ、視線を向けられること自体はそこまで珍しいことではない。
それに向けられる視線からは、悪意が全く感じられないのだ。
だからと言って放置していいことにはならないかもしれないけど、
今のところ、特に害はないものだと思っている。

「あ、フェイトちゃ~ん」
廊下の向こうから、愛しの彼女が手を振って近づいてくる。どうやら仕事終わりで、今登校のようだ。

最近は仕事の都合でなかなか会うタイミングが無かったから、そうしてくれるのは本当に嬉しい。
だけどやっぱり人前だと恥ずかしく思ってしまう。
私のそんな思いに気づくわけもなく、なのはは私のもとへと走ってきた。
当然、ここは注意しなければならない。

「なのは、ここは学校の廊下だよ。走っちゃダメなんだから」
「ごめんなさい。でも、フェイトちゃんを見つけたら、嬉しくて。えへへ」
舌を出してはにかむなのは。それだけで全てを許せるようなきがしてくる。
けどここはなのはのためにも、何より自分のために心を鬼にして厳しくあたらなければならない。

「でもなのは、やっぱり廊下は走っちゃいけないんだよ。ルールは守らないと、」
「フェイトちゃんは、わたしに会えても何とも思ってくれないの? なのは、少し寂しいな」
あぁ可愛い。もう可愛すぎて、今すぐ抱きしめてあげたくなるほどだ。そして解った。
私が、こんなに幸せそうななのはを叱るなんて、絶対に無理だということが。

「そんなことないよ。私だって、なのはに会えて嬉しいんだよ」
「よかったぁ、フェイトちゃんに嫌われたかと思っちゃったよぉ」
私の言葉がよほど嬉しかったのか、無邪気に抱きついてくるなのは。

その姿はまるで小さな子供のようで、本当に可愛い。
なのはの笑顔に釣られ、思わず抱きしめ返しそうになってしまう。
しかし、ここでまた妙な視線を感じた。しかも先程よりも強い、どこか熱を帯びたような、そんな視線を。

「あれ、消えた?」
なのはの肩越しに周囲を探っていると、やはり視線は消えた。解らない、一体誰が視線を送ってくるのか。
そしてなぜ、このタイミングで視線を送ってきたのか。
謎が謎を呼ぶ、そんな言葉が一番正しい状況かもしれない。

「フェイトちゃんどうかした? なんだか、顔が怖いよ」
「ううん、何でもないよ。それより、教室に戻ろう?授業始まっちゃうよ」
心配させまいと話題を変えようとしたその時、図ったかのようにチャイムが鳴り響いた。
なのはは少し名残惜しそうにしながらも私を離してくれた。くれたのだけど、

「ほら、行こ?」
「ちょ、ちょっとなのは、引っ張らないで」
結局、私はなのはに手を引かれ教室へ戻ることとなった。
勿論、教室に入った瞬間アリサの怒号を浴びたのはは言うまでもない。

「で、妙な視線に困ってる、と」
昼休み、一緒にご飯を食べながら私は視線のことをアリサに相談していた。
なのはは直接管理局から来たということもあり、購買へパンを買いに出ている。
その隙を狙ったというわけだ。あんまりなのはを心配させても仕方ないから。

「うん。別に何か睨まれてる、とかじゃないんだけど、なんだかね」
言いながらお弁当を一口。うん、上手にできた。
母さんたちは美味しいって言ってくれたけど、やっぱり自分で食べるまでは心配だったからホッとした。

「それでフェイト、いつくらいからその妙な視線を感じてるわけ?」
「1週間前くらい、かな。なのはと一緒の任務に行って、帰ってきてからだよ」
私の言葉を聞いたアリサの口が小さく動く。普通なら聞こえないくらいの声。
だけど、私にはしっかりと届く。アリサは「やっぱり」と呟いていた。

「やっぱり、ってどういうこと?」
「まぁ、隠しててもいつかバレるだろうからいいか。
アンタたちが仕事に出てから、ちょっとした問題があったのよ。ちょっと待ってて」

そう言い残すとアリサは、自分の席へ向かう。
そして何やら鞄をゴソゴソと漁って、一冊の本を持って戻ってきた。
本と言うには少しばかり薄いその本の表紙、そこには何やらよく解らない単語が記してある。

「『なのフェイ観察日記』? 何これ?」
「ま、いいから読んでみなさいよ。それが多分、いいえ、間違いなく今回の原因だから」
アリサに促され、パラパラとページを捲る。どうやら小説で、私となのはのことが書かれているようだ。

最初の方は、特に問題なかった。私となのはが普段からどれだけ仲がいいか書かれていただけだ。
だが、中盤を過ぎたあたりから様子がおかしい。
だんだんとアブナイ方向に進んでいる、そんな風にも感じ取れる。
そして終盤、私の懸念は現実のものとなった。最後の方で、私となのはキスをしていた。
しかも何故か私の部屋での勉強中に、すごく情熱的に。

「出処は不明。ただ、かなりの数の生徒がこの本を持っているみたいよ。
1冊300円らしいし、アンタたちかなり人気者だから。気づいてるかは知らないけどね」
アリサが何か言ってるけど、私の耳には一切入ってこなかった。
ただ先程の本が衝撃的すぎて、ただ呆然としているだけ。

それは私だって、そうなればいいなぁ、なんて妄想したことだってある。
でもこうして形にされると、どこかやり場のない怒りを覚える。なんだかなのはが穢された気がして。

「ちょっとフェイト、聞いてる?」
「ご、ごめん、聞いてなかった」
気づけば目の前には、凄んだアリサの顔。その表情に気圧され、つい本当のことを言ってしまう。
するとアリサは一度だけ溜息を吐く、がすぐにいつも通りの表情を浮かべ、声を潜めた。

「誰がこんなのを書いたのか、って話。ここまでアンタたちに詳しくて、こんなことをしそうな人間って言えば?」
多分、アリサの頭の中には2、3人ほどの候補が浮かんだはずだ。私だってそうだから。

でもそのうちのひとりはプロの漫画家さんだし、もうひとりは警察関係の人。
それ以前にふたりとも社会人なので、わざわざ中学校まで出向いて売った、なんてことはないはずだ。
となれば犯人はひとりしかいない。関西弁の、あの人だ。

「うん、ちょうど明日仕事が一緒だから、ちょっと話を聞いてくるよ」
「解ったわ。あんまりやり過ぎないようにね」
アリサの忠告を受けたその時、ちょうどなのはが帰ってきた。手にはしっかりと購買の袋がある。

本当にいいタイミングで帰ってきてくれた。私たちは先程のことなどなかったかのように、昼食を再開する。
なのはは相変わらず、すごく楽しそうだった。

「ねぇ、フェイトちゃん、ここが解らないんだけど」
「あ、ここはね、」
学校から帰宅すると、私はなのはを連れて家に向かった。
なのはの発案で、遅れを取り戻すためのプチ勉強会を開催することになったのだ。

とはいえ、基本的には理系の私たち。
文系科目はアリサやすずかに聞くことにして、今は数学の問題集のやり直し中だ。

「どう、解ったかな?」
「う~ん、少し引っかかってるんだよね。フェイトちゃんのノート見せてよ」
「いいよ、って言っても説明したのと変わらないと思うけど」
鞄の中から、目的のノートを探す。とその時、アリサから渡された例の本がチラリと見えてしまった。

思い出さないようにしていたのに、これでは最後のシーンが嫌でも思い出されれてしまう。
私の部屋でふたりきりの勉強会、そして私たちは互いの気持ちを確かめるように、

「どうしたのフェイトちゃん? ノートあった?」
「えっ!? あ、あぁ、うん。あったよ。これだね」
顔を上げると、なのはの顔。驚きをなんとか隠し、差し出された手にノートを手渡す。
そんな様子にも、私の心はドキドキしっぱなしだった。ダメだ、なのはを直視できない。

「な、なのは。ちょ、ちょっと、お茶を淹れてくる、ね」
気付けば私は部屋を飛び出していた。
でもいくら忘れようと思っても、小説のことは忘れることは出来なかった。

「なのは、ただい、」
荒ぶる心をどうにか落ち着かせて、部屋へ戻る。だがそこには驚くべき事態が待っていた。

ドアを開けた私の瞳に飛び込んできたのは、倒れた私の鞄から飛び出たらしいアレを手に、
顔を赤らめているなのはだった。

「フェ、フェイトちゃん、コレ」
「ち、ちち、違うよ。その、えぇっと、なんだか学校で広まってるって、アリサが、」
沈黙。お互いに顔を赤くしたまま、一言も話せない。どうしよう、すごく気まずい。

何より心配なのは、この本を私が隠してたんじゃないか、となのはに思われること。
いや、隠していたのは事実だけど、私が望んでこれを手に入れたと思われたくない、ということ。
だって、私には本物のなのはがいるんだよ?小説が必要であるハズがない。それだけはなのはに伝えないと。

「あ、あのね、なのは、」
「ねぇ、フェイトちゃん?」
言い訳をしようと口を開いた途端、なのはの言葉に打ち消される。
私は言葉を紡ぐのを止め、なのはの言葉を待つことにした。

だがなのはは言葉をなかなか続けようとしない。そして待つこと数秒、顔を真赤にしたなのはが口を開いた。

「フェイトちゃんは、その、なのはとこういうことをしたいの?」
「へっ?」
思いがけない言葉に、自然と間抜けな声を上げてしまう。なのはの言葉の意味を、すぐには理解できなかった。

こういうことって、小説にあったことだよね。
したくない、って言ったら嘘だけど、それを口に出すのはこの上なく恥ずかしい。

「えっ、いや、その、」
「したくないの?わたしは、フェイトちゃんなら、って思ったのに」
その言葉に、私の中の何かがはじけ飛んだような音がした。

なのはには悪いけど、私だって、そんなことを言われて我慢できるほど大人じゃないんだ。
気づけば私は、なのはに謝っていた。これからすることについて。

「ごめんね、なのは」
「ちょっ、フェイ、んっ、」
突然の行為に、目を開くなのは。でもすぐに瞳を閉じて、私を受け入れてくれる。

よかった、なのはに拒絶されなくて。その想いを胸に秘め、私は小説と同じように情熱的なキスをした。
久しぶりの彼女の味は、とても甘美なものだった。

翌日、私ははやてと一緒に転送ポートの上に立っていた。
「なんや、フェイトちゃんと一緒の仕事も久しぶやなぁ」
ひとりしみじみと頷くはやて。だけど私の頭の中は、あのことでいっぱいだ。
そして私はなんだか百面相をしているはやてに、例のアレを突きつける。

「ねぇ、はやて。コレは何かな?」
「そっ、それは!?」
はやての顔が驚きに歪む。やっぱりはやてだったのか。予想通りだったけどね。

「あ、あのなぁ、フェイトちゃん。それには、その、海より深く、山より高い訳が、」
「やだなぁ、はやて。私は怒ってなんかいないよ」
言い訳を始めたはやてに、優しく微笑む。怒っていないのは本当だ。

だって昨日は、この本のおかげで素敵な日になったから。
その原因を作ってくれたはやての本には感謝しなければならない。
でも、勝手に私となのはの名前を使ったのはいけない。きちんと、お仕置きしないとね。

「よ、よかったぁ。フェイトちゃんなら解ってくれると、」
「うん、怒ってないから、この後模擬戦やろうね? 全力全開で」