The importance of the rule

相手との距離はおよそ10メートル。たったそれだけの距離であっても、私からは手が出せない。
相手の出方を見ないことには私からも動くことが出来ないのだ。
得物を握る手にも、自然と力が入る。

一瞬だけ視線が交差した。相手も間違いなくこちらを意識しているはずだ。
今、私たちの間に入るものは何も無い。純粋に彼女との勝負。
そのことを意識した瞬間、ついに彼女が動いた。

素早い動作から、ソレが放たれる。逃げる、なんていう選択肢は最初から浮かんでこなかった。
接近してくるソレを迎撃するために、手に持った得物を思い切り振り抜いた。

だけど、
「なっ!」
予想に反してボールは鋭くスライド。
バットと衝突することはなくボールははやてのミットの中へ収まった。
そして遅れて聞こえる、非情なコール。

「ストライクッ!バッターアウト!」
主審の右腕が高く掲げられ、私はグラウンドを去ることとなった。

今は体育の授業中。私たち2組は、はやてたちの6組と合同でソフトボールをすることになった。
だけど「絶対に勝つ」と意気込んでいたアリサの意気込みとは対照的に、
私たちのクラスは0対2で負けている。
原因は簡単。相手の4,5番に座るふたり、すずかとはやてだ。

ピッチャーすずかとキャッチャーはやてに私たちのクラスは抑えられ、
そしてふたりに点を取られるという悪循環。
なのはの前でいい所を見せようと思っていた私だけど、さっきので二打席連続三振だ。
格好悪すぎる。

「フェイトちゃん、ドンマイドンマイ。ほら、切り替えてこ?」
グローブを手渡しながら、そう声をかけてくれるなのは。
なのは自身、今は試合に出ていないのでベンチで応援してくれているのだ。
だからこそ、余計に力が入ってしまう。なのはの分まで頑張らないといけないから。

「うん。ありがと、」
「何がドンマイよ。まったく、あんな釣り球に引っかかるなんてフェイトもまだまだね」
なのはに応えようとすると、背後からアリサに声をかけられた。
確かにアリサの言うとおりなんだけど、同じように三振したアリサにはあんまり言われたくなかったりする。
勿論、声に出しては言わないけど。

「まぁいいわ。時間も時間だから、アタシ達に打順が回ってくるのはあと1回でしょうね。
その1回でなんとかしないといけないんだけど、」
チラリと相手ベンチを見るアリサ。その視線の先には、楽しそうに談笑するすずかとはやてがいた。

少しだけ恨めしそうに見ているのは、気のせいじゃないだろう。
私だってなのはがあんな風に他の人と話してたら、少しは嫉妬してしまうだろうから。

「あのふたりが問題ね。敬遠っていう手もあるけど、無理にランナーふたり出すこともないわ。
だから死ぬ気で守りなさいよ」

思い切り背中を叩かれて、一瞬だけ息が出来なくなる。
よほど気合が入っているみたいだけど、手加減は忘れないでほしいな。
それにアリサに言われるまでもなく、私はやる気満々だ。
打てない分、守備で良いプレイをしないとなのはに合わせる顔がない。

「解ってる。だから、アリサもしっかり抑えてね」
「何言ってるのよ、当然でしょ。こうなったらもう1点もやらないんだから」
私の言葉に、頼もしいエース様は大きく頷いて応えた。
勿論、試合前にも同じことを言っていたけど、そのことにはあえて触れないでおく。

その後は、予告通りアリサが相手打線を完璧に抑えた。
クラスメートたちもアリサの力投に応えようと、必死にすずかを攻め立てようとする。
ここまで完璧に抑えられていたすずかから、ようやく初ヒットを打つことに成功したのだ。

もっともすずかの方も手加減をしたようで、スピードを落としていたのだけど、
それよりも問題は次のバッターだ。
次の選手が出塁しないことには、ヒットを打った意味が薄くなってしまう。
とにかく今は塁を埋めることが大事だ。

そしてそんな次のバッターは、
「審判、代打よ。ほらなのは、覚悟決めなさい。大丈夫よ、打てなくたって怒らないから」
「そ、そんな真剣な顔で言われても説得力ないよぉ~」
なのはだった。今にも泣き出しそうな表情を浮かべながらも、その手にはしっかりとバットが握られている。
だけど一生懸命ななのはには悪いけど、全く打てる気がしない。

だって、
「なのは、手が逆だよ」
「えっ? こ、こうかな?」
こんな感じなのだ。
管理局に務めるようになってからなのはの運動能力も見違えるほど上がったけど、
根本的に運動音痴であることには変わりないようだ。

「うん、それで大丈夫。なのは、いい? しっかりとボールを見て、当てるようにバットを振ってみて。
そうしたら絶対に当たるから」
握りを確認しながら、軽くアドバイスする。少しでも塁に出る可能性を上げるために。
それになのはは左打ちだから普通よりも1塁に近い。ボールが当たったら、セーフになる可能性だってある。

「で、でも、自信がないよ」
「大丈夫。なのはなら絶対にできるよ」
まだ自信が持てないらしい。それもそうだろう。
ただ見学していただけなのに、いきなりこの重要な場面で代打に出されたのだ。
私だって緊張して、上手く打てないかもしれない。

「あのーおふたりさん。時間も押してますんで、手短にお願いします」
不意の言葉に、慌ててなのはとの距離を取る。
声の聞こえた方を見ると、そこには予想通りはやてがいた。
口元に笑みが浮かんでいるあたり、狙ってやったということなんだろう。

「まぁ、ふたりの仲がいいのは周知の事実やけど、流石に授業中までっていうんはお腹いっぱいや」
「はやてちゃん、ダメだよ。ごめんねふたりとも。でも時間が惜しいのは本当だから、
ほどほどにしてほしい、かな」
相手バッテリーの心理戦の前に、なのはの顔は真っ赤だ。かくいう私も、真っ赤になっているに違いない。

こうしてなのはは、心に動揺を抱えたまま、すずかと勝負しなくてはならなくなってしまった。
1球目は、今までのスピードは嘘のようなスローボール。しかもドがつくくらいの真ん中だ。
だけど、動揺しているなのはは見事なまでに空振り。その上勢い余って尻餅までついてしまう始末だ。

「なのは、ちゃんとボールを見て!」
今の私に出来ることは、ただ応援することだけ。
だけど今のなのはの心理状況では、私の言葉が届いているかどうか怪しい。

そう思っていた矢先、なのははこちらを振り返って一度だけ大きく頷いた。
周りの声が聞こえてる。大丈夫、今のなのはは冷静だ。
そして2球目。先程と同じようなボールをなのはは力の限り振り抜いた。

「えいっ!」
こちらまでそんな掛け声が聞こえてくるようなスイング。
だけどなのはの意気込みとは裏腹に、打球はかなりボテボテだ。それを見たなのはは1塁目指して全力疾走。

これは、際どい。だけど私の目には、なのはが駆け抜けるのが早かったように見えた。
そしてそれは正しかった。審判の手が大きく横に広げられたのだ。

「やったぁ、やったよフェイトちゃん!」
ベースの上で、何度も手を振るなのは。私もそれに応えて小さく手を振った。
「アンタ、正直恥ずかしくないの?」
「実はすごく恥ずかしいです」
隣のアリサに真実を告げたことは、なのはに内緒だけど。

その後も私たちの攻撃は止まらない。点差は縮まらないものの、2アウト2,3塁までこぎつけることに成功した。
そしてここで迎えるバッターは、
「じゃ、ちょっとホームラン打ってくるわ」
と、私と同じくここまで二打席連続三振のアリサだ。
素振りをするその姿からも、この打席に賭ける意気込みが伝わってくる。

だけど、ここではやてたちは驚くべき作戦をとってきた。なんとキャッチャーのはやてが立ち上がったのだ。
「ちょっと、どうして敬遠なんかするのよ!?」
「そんな怖い顔せんといて。これも作戦や。満塁のほうが守備もしやすいからなー」
あっけらかんとした表情を見せながら、それでも非情に敬遠を敢行するはやて。

すずかもまたはやての指示に従ってボールを4回、アリサの手の届かないところに投げる。
これで2アウト満塁。打席に入りつつ、校舎にかけられた大時計をチラリと見る。
授業の残り時間も後わずか。この試合の勝敗は、私のバットにかかっている。

「そういえばフェイトちゃん、さっきなのはちゃんに何言うてたん?」
ゆっくりと打席に入ると、すぐさまはやてが声をかけてきた。前の二打席と全く同じだ。

なんでもはやてが尊敬している野球監督が編みだした戦術のようで、私の集中力はガタ落ちしてしまう。
だけど、それは前の打席までのこと。
なのはがあんなに頑張って出塁したんだから、私だって頑張らなければならない。
今の私には自分の心の声しか聞こえないのだ。

「フェイトちゃん、頑張ってぇ!」
訂正。自分の心の声となのはの声しか聞こえないのだ。
よし、なのはの期待に応えなくちゃ。

前と同じように、バットを持つ手に力がこもる。だけど今回はすごく余裕を持っていられている。
カウントは1ストライク1ボール。ここで追い込まれるわけにはいかない。次が勝負の1球になるはずだ。
そしてはやてたちが選ぶボールはあの球しかない。前の打席で三振を喫したあの球だ。

はやての性格からして、同じ球を決め球にしてくるとは考えにくい。
私はダメ元でその球にヤマを張る。打てなかったらごめんなさい、だ。

はやてのサインに2回ほど頷いて、すずかの腕が弓のようにしなる。
一瞬のタメの後、ボールが放たれた。一見真っ直ぐに見える。
だけど私は変化するであろう地点を予想し、そこめがけてバットを振った。

――カキーンッ!

綺麗な音を残し、ボールは外野の間を深く破る。
はやてがホームベースに呆然と立ち尽くしているのを横目に、私はゆっくりと1塁へ向かった。
これで終わったんだ。私たちは勝てたんだ。

「フェイトちゃ~ん!」
1塁に到達した私に、なのはが勢いよく飛び込んできた。
気のせいだろうか、目の端には涙が浮かんでいるようにも見える。

「ナイスバッティングだったよ! それは今日のヒーローは間違いなくフェイトちゃんだね」
「そんなことないよ、なのはがヒットを打ってくれたか、ら?」
ちょっと待って。私、今なのはと話してる?
あれ、なのははさっきまで2塁ベースのところにいたよね。
それってつまり、アリサを抜いてこっちに来ちゃったってこと、なのかな?

「審判。バニングスさんが高町さんを抜いたので、バニングスさんはアウトでいいんですよね?」
気づいたときにはすでに手遅れ。すずかが冷静に審判に確認していた。

ソフトボールでは、前のランナーを抜いてはいけないというルールが存在する。
そしてもし抜いてしまった場合そのランナーはアウトになり、
それが3アウト目だった場合アウトになる前にホームを踏んでいた数だけの得点しか認められない。

それはつまり、
「ゲームセット!2対1で6組の勝利です」
私たちの負けだ。私はすぐにその理由が解ったけど、なのはには何が起こったのか解っていない様子。

しきりに小首をかしげて、私に説明を求めるような視線を向けてくる。
ごめんね、なのは。流石に私から説明できないや。
だって、後ろからアリサがものすごい勢いで走ってきてるから。

「なのはの、バカァァ!!」
その叫び声と共に、タイミングよく授業終了のチャイムが鳴り響いたのだった。