ミッドチルダ郊外にある居酒屋。
どこぞの捜査官が進言して作らせたこの店は、ありえないほど日本のそれと酷似していた。
いや、日本の居酒屋をモチーフに作ったことは間違いないだろう。
何故なら当の本人が今、私の目の前で楽しそうにビールを飲んでいるのだから。
「いやぁ、この店はホンマにええねぇ」
店のオーナー、はやては満足そうに頷くと、ジョッキに注がれたビールを飲み干す。
その飲みっぷりは、とても管理局のエリート捜査官とは思えない。
そしてその隣では、いとしの我が妻が小さなグラスを美味しそうに煽っていた。
中に入っているのは氷と琥珀色の液体。
何杯目か解らないほど飲んでいるはずなのに、素面と殆ど変わらないところは流石高町家のハイブリッドだ。
「おねーさん、生中追加で! あと、串焼きを適当に持ってきてやぁ~」
「あ、わたしもウィスキーの追加お願いします。ダブルで」
「私は……ウーロン茶で」
ふたりから(特に関西弁を話す方から)信じられない、という表情で睨まれる。
でも今日の私の仕事は、妻を家に送り届けること。
代行を頼んでもいいけど、やっぱり自分の車は自分で運転したい。
運ばれてきたウーロン茶を飲みながら、私ははやてに誘われた時のことを思い出していた。
珍しく書類仕事だけだった私は、仕事が終わるとすぐになのはの元へ急いだ。
いつもならなのはの方が先に終わるけど、今日は私の勝ち。それをびっくりさせたかったのだ。なのに、
「お、フェイトちゃん、奇遇やねぇ」
なのにどうして私の邪魔をするのかな、はやては。私は一刻も早くなのはの所へ行きたいだけなのに。
「というわけではやて、私急いでるから」
「どういうわけ!? 親友が声をかけとんのに、それは酷いんちゃう?」
やっぱり誤魔化せなかったか。
流石にこれ以上無視するわけにもいかず、私ははやての方へ身体を向ける。
するとはやては深刻そうな表情を浮かべ、声を潜めながら言った。
「フェイトちゃん、今日飲みに行かへん?」
一瞬でもはやてを信じそうになった私がバカだった。
どうやら話はそれだけみたいだし、もう行ってもいいよね。
そう思った私ははやてに背を向けて歩き出そうとした、けど、
「……何なのかな、この手は?」
「そりゃ、フェイトちゃんが返事もせんで、行こうとするからやろ」
私の右手ははやてによって、しっかりと握られていた。
本当にこういう時だけは素早いんだから。相変わらずの行動に軽くため息を吐きながら、私は言う。
「悪いけどはやて、今日はなのはと一緒に帰るから無理、」
「あれぇ、そうなん? さっきなのはちゃんからOK貰うたんけど」
そしてニヤリと笑うはやて。やられた。
私に聞けば絶対に断ると知ってるから、敢えてなのはに聞いたのだ。
なのはが行くなら私も行かざるをえないということを見越して。
「解った。それなら一緒に行こう。でも今日の私は運転手だから飲めないけど、いいの?」
「ええよ。正直、私もふたりと話がしたいだけやし」
飲めないと言ってそれとなく断るつもりだったけど、それすら上手くいかない。
この手の問答では、いつもはやての方が一枚上手。
少し落ち込みながら、私とはやてはなのはを迎えに行くのだった。
そんなことがあって今に至るわけだけど、はやてはすごく楽しそうにビールを飲んでいる。
最近、はやてはいつも忙しそうだった。
私の仕事も忙しいという自覚はあるけど、それを超えるくらい忙しそうにしていたのだ。
もしかしたら、一段落ついたのかもしれない。それなら羽目を外したくなるのも解かるけど、
「お、なのはちゃん、また胸大きくなったんちゃう?」
「えっ? そんなことないよ、って触らないでよぉ」
解かるけど、だからといってセクハラを甘受するわけにはいかない。
ここはなのはの夫として、威厳を見せておかないと。
「ええやん、減るもんやないし、痛っ!」
「人の妻に堂々とセクハラしないでもらえるかな?」
恨めしそうな顔でこちらを見るはやて。だけど本当ならその視線を送りたいのは私のほうだ。
そんな私の睨みつけるような視線に屈服したのか、はやてはあっさりとセクハラを諦めてくれた。
いつもこれくらい聞き分けがよければ助かるのに。
「それで、今日はどうして私たちを呼んだの?」
「言うたやん、話がしたいだけやって。ちょっとばっかし愚痴を聞いてもらいたいだけや」
そう言うと、目の前の漬物に手を伸ばすはやて。どうやらその言葉に嘘はないようだ。
いや、はやてのことだから解らないけど。
「いや、今日ウチの部長と話したんよ。部長の部屋で。そしたらあの人、私に向かってなんて言うたと思う?」
私たちに聞かれても解らない。でもはやてがここまで言うんだから、余程のことを言われたんだろう。
私たちは次の言葉を待つ。
「それがな、『少し疲れてるから、キモチよくしてくれ』って言うたんよ」
開いた口がふさがらないとはこのことだろう。隣ではなのはも同じような表情を浮かべている。
まさか管理局にそんな人がいるなんて思ってもみなかった。事実ならこれは由々しき事態だ。
流石のはやてだって、ここにきて嘘は吐かないだろう。
それにしても、はやてがそんなことを許すなんて。
もしかしたら、『闇の書事件』のことで脅迫されているとも考えられる。
あの時強引な方法を使ったようだし、そのことを恨んでいる人がいたとしても不思議ではない。
管理局執務官として、このまま犯罪をのさばらせておくわけにはいかない。
なのはの身に何かあってからでは遅いのだから。とにかく、話を聞かないと。
「流石に骨が折れたわ~。部長ったら、かなり肩が凝っててなぁ~。マッサージする身にもなってほしいわ」
腕をグルグル回しながら、自分の肩に手を置くはやて。そうか、部長さんの肩が凝ってたんだ。って、
「マッサージだったの!?」
驚く私にはやては頷いて応える。
その顔には、「何を言ってるんだろう、この人」みたいな表情が浮かんでいるようにも見える。
「せや。私以外にも人がおったのに、どうして私に頼むかなぁ~って話やったんやけど、」
そこで私の顔をまざまざと見、すぐさま嫌な笑顔を浮かべるはやて。
マズい、マズすぎる。多分はやては私が何を勘違いしたのか察してしまったようだ。
でも、はやての言い方も悪い。あんな言い方なら誰だって勘違いするに決まってる。
というかはやてのことだ、それを狙って言ったのかもしれない。
「ま、フェイトちゃんが心配するような状況にはなっとらんよ。そうなったら流石に、逃げるわ。せやけど、」
言葉を止め周囲を伺うように声を潜める。 その行動に自然と私たちの意識もはやてに集まっていく。
そんな中、はやての視線がなのはの方を向いたように見えたのは気のせいだろうか。
「教導隊はそういうのがあるっちゅー噂もあったりなかったり」
「えぇぇぇっ!?」
驚愕の発言に思わず声を上げたのは、その教導隊所属のなのはだった。
思いもよらぬ大声であったため、店内の視線が一気にこちらに向いてしまう。
店内に向かって慌てて頭を下げるなのはを席に座らせると、事実について尋ねた。
噂に過ぎないんだろうけど、一応念のためだ。
「なのは、本当なの?」
「そ、そんなの聞いたことないよ。絶対何かの間違いだって」
「せやから言うたやん、噂やって」
慌てるなのはを尻目に、はやてはビールを煽る。
その様子を見ていると、これもはやての作った嘘なんじゃないかと思えてくる。
だからその予想を確信に変えるため、私はもう一度なのはに尋ねた。
「本当に、そんなことない? そんなことしてないよね?」
「やだなぁ、フェイトちゃん。絶対にそんなことないよ。それにね、」
顔を赤らめ、こちらへ近づいてくるなのは。何か言いにくいことでもあるのかな。
そんな考えを巡らせていると、なのはは私の耳元で、小さく囁いた。
「わたしがそんなことするのは、フェイトちゃんとだけだから」
蚊の鳴くような声。注意してなければ聞きそびれてしまうような声だったけど、私にはちゃんと聞こえたよ。
うん、最高だ。今日初めてはやてに感謝したかもしれない。
なのはを誘ってくれてありがとう、と。
コメント