マズい。これは流石にマズい。何がマズいかって、それはもう色々と。
原因は解っている。でも、取るべき手段がない。今の私にはどうすることもできないんだ。
だって、
「フェイトちゃん、今日はケーキを焼いてみたよ」
「うん、ありがとう」
なのはがこんなにも幸せそうだから。
言えなるわけがない。いくら食欲の秋だからって、少しお菓子の作り過ぎじゃないか。
なのはのお菓子が美味しすぎて、私の体重がピンチなことになっているなんて言えない。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
事の始まりは秋が始まったばかりの頃のこと。
非番だったなのはが、私の帰宅に合わせてクッキーを焼いてくれた時だ。
「お帰り、フェイトママ。今ね、なのはママがクッキーを焼いてるんだよ」
「へぇ、それは楽しみだね。なのはのクッキーは美味しいから、期待大だよ」
「そう言われると、なんかハードルが上がっちゃうなぁ」
ヴィヴィオと話していると、両手でクッキーの皿を持ったなのはの姿が。
エプロン姿がよく似合っていて、本当に可愛い。
クッキーじゃなくて、なのはを食べてしまいたいくらいだ。
「お帰り、フェイトちゃん。ちょうど焼きあがったところだよ」
「ただいま、なのは。クッキー、すごく楽しみだよ」
言うと同時に、クッキーを一枚摘まみ上げる。
両手がふさがっているなのはは、私の突然の行動に慌てるけど当然何も出来ない。
可愛らしい妻が声を上げるよりも早く、私はそのクッキーを口の中へと放り込んだ。
「どう、かな?」
一瞬の後、なのはが尋ねてきた。
微妙に不安そうなその表情を見てると、少しだけ意地悪したくなってくる。
「……」
あえて何も言わずにクッキーを咀嚼する。
1秒、2秒と時間が経つにつれて、なのはの顔が不安一色に染まっていく。
これ以上すると、流石に可哀想なので演技は終了。
本当は食べた瞬間に出したかった笑顔を全面に押し出す。
「美味しいよ、なのは」
「よ、よかったぁ~」
心底安心した、という感じで胸を撫で下ろすなのは。
その隙にヴィヴィオがお皿からクッキーを摘まんでパクリ。すぐに満面の笑みが広がる。
「うん、美味しい。さっすがなのはママだね」
まるで自分のことのように喜ぶヴィヴィオに、私も楽しくなってくる。
だからかもしれない。あんなことを言ってしまったのは。
「こんな美味しいお菓子なら、毎日食べても平気だね」
きっと原因はこれだろう。これに決まっている。
だってこの言葉を言った時のなのはの嬉しそうな顔は、今でも思い出せるくらい輝いていた。
ということは、私の自業自得ということだ。
こうして、なのはが私よりも早く帰って来る日になのはお手製のお菓子を食べる事になったというわけ。
しかもその日はなのはがやけに手の込んだ料理をするのだ。曰く、
「食欲の秋だもん。料理する方も気合が入っちゃうよ」
とのこと。その数、週に4日。
これだけの時間なのはの料理をたくさん食べていて、
しかも普段どおりの書類仕事をしていれば体重が増えないはずもない。
特に最近はやたらと書類が多いせいで、充分な訓練も出来ていない。
あぁ、悲惨な未来が見えてくる。
「どう、フェイトちゃん? 今日は甘さを抑えてみたんだけど」
「なのはが作ったものが美味しくないわけないよ。今日のケーキもすごく美味しいよ」
結局私に与えられた選択肢は、食べるor食べない。
食べないを選択したときのなのはの反応は手に取るように解るから、食べないわけにもいかない。
つまり、自分で破滅の道を選んでいるということだ。
仕方ないよね。だって、なのはのお菓子、すごく美味しいから。
といつもなら自己弁護をするところだけど、今回ばかりは心を鬼にしなければならない。
やっぱりデリケートゾーンに関しては妥協できないのだ。
それ以外の部分では妥協してしまっているのが、少し悲しいけど。
「あのね、なのは」
意を決してなのはに声をかける。
悲痛な思いの私とは裏腹に、声をかけられたなのはは小鳥のように首をかしげた。
そんな動作もいちいち可愛らしい。
「どうしたのフェイトちゃん? 口に合わなかった?」
「そ、そんなことないよ。すごく美味しい……じゃなくて!」
あぶない、危うくなのはのペースに巻き込まれるところだった。
よし、ここは夫としてきちんと言わないと。
「なのはのお菓子は本当に美味しいし、作ってくれてすごく嬉しいんだけど。その、ね。最近、体重がね」
うわぁ、恥ずかしい。穴があったら入りたい、というのはこんな時に使う言葉なんだろうな。
その場から逃げ出したい衝動を何とか抑えながら、なのはの言葉を待つ。
でもなのはは突然笑い出した。えっ?私、何か間違ったこと言っちゃったのかな?
「ご、ごめんね、フェイトちゃん。フェイトちゃんが真面目にそんなこと言うから、おかしくなっちゃって」
ようやく笑いが止まったなのはは、いきなりそう言ってきた。
でも私は真剣だ。なんだか、少し傷ついちゃうな。
「ひどいよ、なのは。私は真剣なのに、笑うなんて」
「本当にごめんね。でも、そうじゃないんだよ」
そう言うとなのはは、何かを教える時のように人差し指を立てた。
「じゃあフェイトちゃんはわたしがお菓子の食べ過ぎで太っちゃったら、
なのはのことを嫌いになっちゃうのかな?」
「そんなことないよ!」
力いっぱい首を横に振る。
当然だ。その程度でなのはへの愛が薄れるわけがない。そんなことは些細な問題だ。
「それはなんでかな?」
「それは、って。だってどんな姿でも、なのははなのはだし。
そんなことくらいで、私がなのはを嫌いになるなんてありえないよ」
「ふふっ、ありがとう。でもね、フェイトちゃん。フェイトちゃんだけがそう思ってるんじゃないよ」
楽しそうに言うなのは。
その言葉を聞いて、ようやくなのはの言いたいことを理解できた。なのはだって私と同じ気持なんだ。
結局私の勝手な思い込みだったということ。
「なのは、ありがとう。なんだか勝手に思い込んでただけだったみたい」
「みたいだね。ダメだよ、しっかりと相談してくれないと」
「うっ……。反省してます」
暫くの沈黙の後、顔を見合わせて笑う私たち。少しの間笑った後、なのはがポツリと言った。
「でも、フェイトちゃんはスレンダーのままの方が格好いいよ。
わたしの自慢の旦那様だもん、格好いい方が素敵だよね?」
「わ、解ってるよ。これから頑張るもんっ」
ものすごく恥ずかしいことを言ってくるなのはに、少しムキになって応える私。
その様子がおかしかったのか、なのははまた笑った。
「でも、今回はわたしにも責任があるんだよね。そこで」
「そこで?」
私がクッキーを褒めた時のように、言葉を止めるなのは。なんだろう、ちょっと緊張してきちゃった。
なのはは何をするつもりなんだろう。
「お詫びも兼ねて、明日からお仕事前に朝練しよ? いいでしょ?」
「……お手柔らかにお願いします」
その申し出を断れるはずもなく、今度は首を縦に振った。明日からは少し大変な毎日になりそうだ。
翌日からのなのはとの朝練。
なんだか昔より厳しい気がしたけど、そのお陰で私は元通りの身体を得ることが出来た。
毎日朝練の後の仕事は大変だったけど、これでなのはの自慢の旦那様になれたかな?
ね、なのは。
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